パンツ自前だ

どうも、安田さんに救われた女です

マニアック を考える

こんばんは、moです。

ついにこの時がやってきました。マニアックを考える…

 

 

ようやくマニアックを観て、自分の中で色々と考えがまとまってきた。ここから先は盛大にネタバレを含みながら、私がマニアックを観て感じたこと、思ったこと、それをただ書き連ねていくだけである。自己満である。到底他人に読ませるものではないということだけ念頭に置いてほしい。ここに書くことは独自の考えであり、異論や意義はもちろん認める。

 

 

マニアック、やはり安田さんのいちファンとしてはあんなにも元気に釈迦力になって歌ってギター弾いて踊ってお芝居する姿を生で見れたのは本当に安心したという気持ちと、エイトにとっても私にとっても長かった一年がやっと幕を下ろしたような感覚になった。まあこれはもちろんそれは私個人の話である。とにかく力強い歌声に私の魂は震えに震えまくった。あんなにも小さい体で、最初出てきたときはやっぱり小さくて可愛いなあ!だったのが終わる頃にはすごく大きく見えた。舞台上で大きく輝く安田さんが本当に、改めてすきだと思った。体が万全ではなかっただろうに、それでもそんなことを一切感じさせないその姿。朝のニュースで体調を問われたとき「見てとってください」と言い放った真意が少しだけでも分かった気がした。あの場で「万全です」と口で言うのは簡単だけれど、それよりも実際に私たちの目で見た姿から分かって欲しいというその強気な姿勢、惚れ直しました。そして私が一番感激したのは花旗ユタカアキラのアドリブシーン。本当に死ぬほど笑っていたそのとき、浅野さんが頼み込む仕草として頭を下げるのを超えて深い前屈をした。浅野さんの細くて骨々しい体が綺麗に二つ折りになって、もうそれはそれは笑った。これが感激の前振りになるとも知らずに。そしてそのシーンのラスト、安田さんが同じポーズをしたのだ。その一瞬で泣きそうになった。その動きはツアー中やこれまでだったら絶対にできない、というよりしてはいけない動作であった。それを目の前で見せられて、誰が彼の体がまだ心配だといえようか。私のたった一度の観劇のそのシーンはたぶん、一生忘れないと思う。そこからは本当に心配なんてものはなくなってただひたすら笑っていた。

二幕からは尼ヤン全開で私の性癖に刺さりまくりだった。怒鳴られたい。ガラも口も悪い安田さん最高だった。

あとはまあもう終始安田さんはかっこよくて可愛くて、腕切られて血見て泣きべそ書いてるアキラに母性が目覚めたら、植木屋のつなぎを急いで脱いでアコギで恋に走ろうを歌う時なんてズボンの脱ぎ方かっわい〜間に合う?大丈夫?みたいな気持ちになったり、Rescue herでの赤いジャケット着たアキラと目が合って(勘違い)また恋に落ちたりメイが昭和アイドルになって歌うシーンでの頭を左右に倒してリズムに乗ってるのを見てかっわい〜ってなったり、ふくらはぎ食われたユタカを落ち着かせるために頭をナデナデしてあげるアキラを見て表情も撫で方も頭に顔置いたりするのもあざといなかわいいな!?エーーーッこのシーンすごくかっわい〜ってなったり、人間外に出てお日様の光浴びないとおかしくなってしまうっていう台詞が闘病中や故障中の彼自身に重なってしまったり、空気口にブォーーーッてやるなんて思ってなかったしめっちゃブサイクになって愛おしかったりラジバンダリ…歌うますぎな小さいおっちゃんだいすき…

 

ここからはマニアックの内容について思ったこと。

この舞台を一言で表すならば、劇中でもアキラが言ったように『台無し』である。

まず登場人物に分けて、簡潔に何が台無しであったのか。

【犬塚アキラ】は元嫁への後悔から一目惚れしたメイを本気で救おうとする。とてもかっこいい。しかしメイの秘密を知ったことでその気持ちが変わりメイを置いて1人で逃げてしまう点。

【八猪メイ】は劇中最も台無しな存在であり、可哀想な人を助けたいという気持ちから医者になることを志すが大量出血を見ると性的興奮を覚えてしまうことが分かり、研修先の病院の医者、患者と無差別にセックスすることでその奇病の感染を広めた。そしてそのことに対して最終的に罪悪感はなくこれが普通になるのだと開き直っている。オチの全てを背負っている点。

【八猪不二男】は娘を溺愛するが故に彼女が帰ってきたときに彼女の「可哀想な人を救いたい」という研究をできる環境を整えるために恐ろしい研究に自らのめり込み、それと並行して社会に存在する法で裁ききれなかった犯罪者たちなら同じ目を遭わせて報復する活動を始める。しかし最終的にはその愛する娘が一番の異常者であると分かり圧倒的ラスボスであったのにも関わらずあっけなく出血死、その際メイに興奮されてしまうのがうんたらかんたらてな感じの最期であった点。

 

わー全然簡潔じゃなくなってる…

 

【花旗一郎】は命がけでスクープを狙いあの怒涛のラストを世界に生配信して記者として再び成り上がれそうだったのに配信できておらずただの録画になってしまっていた点。

【甘木婦長】は院長への信仰が深すぎてあったはずの"普通の感覚"や"良心"が狂ってしまった点。ただ、私は甘木婦長は最初から最期まで院長への信頼、信仰、尊敬を徹底していたことから劇中最もマトモになりえた存在なのではないかとも考えている。

【柴賀ユタカ】はアキラにとって良き先輩であったのにこの物語の台無しなオチに最も巻き込まれてしまった点。

 

などなど。

正直他の登場人物をまだ考察しきれていないところがあるので考察した人物のみ記述することにする。

以上のことから分かるように各登場人物が既に台無しである。そしてストーリー。観た人なら分かるようにとんでもない台無しなオチ。まさかあんなにバッタバタ死んでいくとは思わなかったし最後のいいところを持っていくのは全然目立ってなかった看護師だし、メイちゃんは一幕とは打って変わってチンポ吸いたい連呼しだすし、一幕までで出来上がっていた全てが急に壊されて壊れた破片は散らかりまくって、散らかったまま終わった感覚。それでも不思議と嫌な感じはせずむしろすっきりしたのはそれが物語として成立し、それに対して私が勝手にメッセージ性を感じ取ったからである。

 

マニアックは勧善懲悪なストーリーではない。再三不道徳だなんだと言っていたが、本当にこの舞台を見て思ったのは「何が悪で何が善なのか。普通とは一体何なのか、異常とは一体何なのか」ということである。

八猪院長の研究はそれだけ見れば完全悪であるが、その研究には野放しにしてはいけない奴らをどうにかするにはこうするしかなかったという背景がある。加えて寿くんからメイを守ろうとした描写が何度か見受けられたことから彼は本当に娘を溺愛しており、その娘を傷付けられた経験があるからこそこのようなことが二度と繰り返されることがないようにと警察署長と手を組んだ彼の研究は、街にいる誰かを救うための研究でもあったのかもしれない。これは不道徳でありながらも、道徳的にも見える。

そしてマニアックの世界は独特でありつつも私たちがいる世界を映しているようにも見えた。印象的である「性犯罪者は治らない」はまさにその通りだと思う。現代の日本において、性犯罪の再犯率は約13.9%であり、これは全ての再犯者の犯罪別割合で見るとなんとおよそ6割が性犯罪にまつわる再犯であることがわかっている(平成27年犯罪白書より)。確かに今、ニュースで見かける性犯罪は加害者が大学生だったり学生であったり、また社会人であっても初犯ではない、というパターンが多いような気がする。これは持論であるが、「性格は変わっても性癖は変わらない」のでこの世の中にも八猪院長のような人間がいたらなあ、なんてマニアックを観劇して性犯罪について改めて考えた人は多いだろう。そして最後に全てを持っていき、自ら死を選んだあの看護師の動機は「目立ちたかった」である。これこそまさに今の社会を象徴しているような気がする。「目立ちたい」「誰でも良かった」など一見、そんなことで人を殺すの?自殺するの?と思うような動機であってもそう言った動機での犯罪は後を絶たない。あの舞台上の人々はみな異常者でありながら、私たちも彼らと似通っていて常にその感覚と背中合わせでいるのだと思う。その中で裏と表の区別がつかなくなったものが犯罪を犯してしまうのではないだろうか。マニアックは世界観は違っていても中で起きていることはこちらの世界と大差ないのかもしれない。

パンフレットで安田さんも「毎日流れてくるニュースを見聞きしていると、世の中や人間は壊れかけていて、正常と異常な境目がはっきりしなくなっているんじゃないかと思います。だとしたら『マニアック』劇中のどギツいギャグや、グロテスクな出来事も、僕らが生きている社会の地続きで起きていても不思議ではない」と発言している。正常と異常の境目がはっきりしている人は非常に少ないのではないだろうか。

 

"普通"の定義は存在しないため、その基準は自然と自分になる。だからこそ、マニアックの登場人物はそれぞれ異常な部分を持っていてもそれが普通、当たり前だと思ってしまう。例えばメイの奇病は500万人に一人(曖昧)の確率で発症するものであるが、彼女が不特定多数に感染させたことでそこから世界中に感染が広まったとしたら、それは徐々に特別なことではなく当たり前へと変化していく。物語のラスト、メイはそんな世界になることに全く罪悪感を感じていないしさらにアキラもその世界に取り込もうとしていた。その状況下において彼女にとって異常となるのはアキラだったのかもしれない。彼女の根底にあるのは「可哀想な人を救いたい」という思い。メイについて考察したとき、この場面は

①もしかしたら彼女はそんな世界になった時に彼女の中の「可哀想」にあたるのはアキラだったからこちら側に入れようしてあげた

②彼女にとって最も「可哀想な人」なのは自分自身であり、その奇病を治すことができないため自分が普通になるために無意識のうちに世界を変えようとしたのではないか、の2パターン考えられた。物語序盤ではメイはきっと自分の異常さにきちんと気づいていた。しかし一歩振り切ると100振り切ってしまうその感じはやはり八猪不二男の娘だなあと感じさせられた。

 

不道徳を売りにして、ラブストーリーのラブをどこかに落としてきたというこの青春音楽劇。しかし囲み取材で古田さんが言ったように「いい作品」になっていたことは間違いない。私はすごく全力でふざけ倒した中に勝手に感じ取ったものが多かった。ラブストーリーというよりは、私たちが生きる世界での闇の部分…性犯罪や病院での過度の薬物投与、少年法に守られ世間に再び野放しにされる加害者、それらを扱うには異質なほどポップで明るく面白く描かれていた。ブラックすぎるストーリーなのにあんなに笑えるものにするって、本当にすごい監督だなあ。

そして私たちは自分のことを「ノーマル」だと思っている。誰でも彼でもマニアックになる素質は隠し持っているのに。だからこそ自分がこれってものを見つけたときその感情が狂うのに時間は要さない。気が狂うほど愛することは間違いじゃない。そこで大事なのはその感情とどう付き合っていくか、どうコントロールするかということである。私は安田さんと出会って性格や生き方が本当に変化した。しかしやはり性癖は変わらないし犯罪に走ることはないと思うけれどこの愛を今後も大切に育ててコントロールしなきゃな…と改めて感じた。みんながどう感じたのかが気になる。たった一度の観劇、そしてずっと興奮していたから間違いもあるかもしれない。それでもわたしは生でマニアックを見てその世界観に触れることで、夢のような時間を過ごした。

もう一度、その世界に触れたいなあ、

どうか円盤化してほしいなあ、なんて。

 

そう思っているのです。